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南京の案内:
江蘇省の省都で、北京、西安、洛陽、開封、杭州と並び、“中国の六大古都”の一つです。歴史は2400年前春秋時代から始まり、多くの王朝(三国時代の呉、南北朝時代の宋、斉、梁、陳)の都が置かれました。金陵、建康と様々な名で呼ばれましたが、後に明の永楽帝が北方の北京に都を移したため、「南の都」と呼ばれるようになりました。
夫子廟、明孝陵など悠久の歴史遺産があり、革命の父として今も尊敬を集めている孫文の陵墓・中山陵、宋美齢の華やかな生活風景がそのまま保存されている美齢宮なども、あります。
  捜索結果 6 件該当しました
  南京【中山陵】

 孫文の陵墓。孫文は、中国革命の指導者。号は中山。広東省出身。清朝打倒のため、1894年興中会を組織。1905年、東京で中国革命同盟会を結成して、民族の独立(民族主義)、民主制の実現(民権主義)、地権平均・資本節制による経済的不平等の是正(民生主義)の三民主義を主唱した。1911年には、辛亥革命により、清朝が倒れ、南京で中華民国臨時政府が樹立。孫中山は臨時大統領に就任。1925年、「革命未だ成らず」の言葉を残し逝去。波瀾万丈の生涯であった。逝去したのは北京で、北京の中山公園でしばらく安置されたのち、1929年、当時の首都であった南京へ移された。緑に囲まれた陵園の奥に祭堂がある。青い瓦と白い壁は、国民党の党旗でもある青天白日をあらわしている。祭堂に至る階段は392段で、祭堂の奥に大理石の臥像があり、その下に孫文の遺体が安置されている。

   

中山陵
中華門
  南京【中華門】
明の時代に造られた南京城は周囲34キロに渡り、その正門が中華門である。特徴のある城門で、それ自体がひとつの城のようになっている。東西90メートル、南北128メートルの城によって防御された城門である。城の西は長江。東と北は紫金山。南京を巡る攻防は、常に、この中華門を挟んでの攻防であったという。
  南京【南京博物館】
オープンは1933年で、中国で最も早い時期に開設された博物館のひとつである。現在中国には数え切れないほどの博物館があるが、「博物院」と名付けられているのは、北京の「故宮博物院」とここだけで、格の高さをうかがい知ることができる。特に書画の収蔵に関してはすばらしい。江蘇省あたりでは明、清時代に絹織物や塩の専売で大変な繁栄を築き、大パトロンの元に才能ある書画の作家が雲集をしたという経緯もあり、沈周、文徴明、唐寅、仇英、金陵八家、揚州八怪などの貴重な作品を多く揃えている。また、もう一つ南京博物院が異彩を放っているのは、いわゆる「南遷文物」といわれるものの存在である。 1933年、日中戦争の戦火を避けるために、北京の故宮から大量の貴重な収蔵品が南京博物館(当時は中央博物院)に運ばれてきた。その数、木箱で2万個と言われている。やがて、南京にも戦火は及び、文物は再び移送されることになった。多くは、四川省・重慶に運ばれた。戦争が終わり、文物はほぼ完全な形で南京に戻るが、その後の国共内戦の混乱の中で、三千箱が台北に運ばれ、七千箱が北京の故宮博物院に戻された。現在、台北の故宮博物院で展示されているのが、このときに運ばれたものである。残りの一万箱が南京博物院に残されたと言われており、これを「南遷文物」と言う。
南京博物館
明孝陵
  南京【明孝陵】
明の太祖・洪武帝(朱元璋)の陵墓。市の東の郊外、紫金山の南麓にある。参道には12対の石獣と4対の石人が並び、その先に直径400メートルの円形の墳墓がある。朱元璋は農民の子から成り上がり、南京に明を建てると、「中華の回復」を旗印に元を攻め、北京を占領し、元を北へ追いやった。さしもの強大さを誇った元も、歴史の舞台から消えてゆくことになる。
  南京【霊谷寺】

南朝のの時代、武帝天監13年(514年)に、独龍阜の玩珠峰の麓に創建されました。これは、現在の明孝陵の位置に当たります。また、その造立の目的は、この寺に武帝が尊崇した宝誌和尚を葬るためであった。開創当初の寺名は、開善寺であった。乾符中(874年 - 879年)に寺名を宝公院と改め、北宋初の太平興国5年(980年)には太平興国寺と改められた。明代初期には蒋山寺と呼ばれていた。朱元璋が独龍阜を自らの陵墓の地に選び、よって当寺を現在地に移転し、霊谷禅寺の寺額を賜った。

初には、兵火に遭って大打撃を受けたが、次第に復興を果たした。康熙帝乾隆帝がしばしば行幸し、当寺に逗留した。しかし、咸豊年間(1851年 - 1860年)には、再び南京に拠った太平天国の兵火を浴び、乱の平定後には無量殿以外の伽藍は廃墟となってしまった。その後、曽国藩らの手によって次第に復興を果たし、明代の霊谷寺の威容を取り戻した。

中華民国時代の1928年には、民国政府によって国民革命軍陣亡将士公墓が建設された。1949年中華人民共和国成立以後に霊谷寺公園に改められた。

霊谷寺
南京長江大橋
  南京【南京長江大橋】
 南京に位置する自動車、鉄道両用橋梁。長江北岸の浦口区と、長江南岸の南京城側の下関区とを連絡する。1960に建設開始、1968に完成。中国の独自技術により設計思考された。道路橋は全長4,589m、幅19.5m、長江にかかる主な部分は長さ1,577mであり、上部が道路、下部が鉄道2階構造となっております。
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